私はお守りになりたい
育児日記、子供のために書くといいよ
大きくなったとき本人が見返せるから
こんなことをよく聞くが、「それいる?」と思うのだ。
マナモギは19歳の秋に母ミツコを亡くしている。
後の海外研修の際に予防接種歴の提示が必要で、そのために母子手帳を探したが、家中ひっくり返しても見つからなかった。
写真も、私の写真はそれなりにあるけれど、母娘のツーショットはほんの2枚だけ。
マナモギ自身も子供が産まれて、母子手帳とは育児日記的な面もあるのだと知り、母子手帳ちゃんととっておいてくれよ!と母に思ったりもした。
私はちゃんと、子供ら二人に育児日記を残そう。
そう思って、日記をはじめてみたがまぁ続かない。日々、育児・家のこと・自分がやりたいゲームや読書・世の中のトピックに対する考え事に手一杯(育児日記は自分のやりたいことに入らないんかい)。
世の中のことを考えたり、調べたりしていると、他人に対して「あなたはどう思うの?」と気になるようにもなる。
亡き母ミツコの信条や、考え方というものもとても気になる。今になって。
そこでマナモギは閃いた(ユリイカ!)。
私の思考を子供に残そう、と。
君たちがどんだけ可愛いか、面白いかっていう日々の日記もとても大切そうだけれど、
【自分たちのかーちゃんはこんな人だった】
ということを残したい。
私自身、母ミツコはこんな人だった、という僅かな情報が、あらゆる場面でのお守りみたいなものになっている。
無宗教無崇拝のマナモギだが、ここにお守りを色々おいておく。
二人とも、必要なときに取りに来なさいよ。
そして、必要ないor必要なくなったものは、燃やしてしまいなさいね。